← Library‹ 孤島の鬼 影武者

その翌日よくじつとうとう恐おそろしい破滅はめつが来きた。

お昼過ひるすぎ、私わたくしが独どくで唖おしの女中じょちゅうの御ご給仕きゅうじで(これが秀しゅうちゃんの日記にっきにあったおとしさんだ)御飯ごはんをすませても、諸戸もろとが父親ちちおやの部屋へやから帰かえって来こぬので、独どくで考かんがえていても気きが滅入めいるばかりだものだから、食後しょくごの散歩さんぽ旁々かたがた、私わたくしは又またしても土蔵どぞうの裏手うらてへ秀しゅうちゃんと目めの話はなしをしに出掛でかけた。

窓まどを見上みあげて暫しばらく立たっていても、秀しゅうちゃんも吉きちちゃんも顔かおを見みせぬので、私わたくしはいつもの合図あいずの口笛くちぶえを吹ふいた。すると、黒くろい窓まどの鉄てつ格子こうしの所ところへ、ヒョイと一ひとつの顔かおが現あらわれたが、私わたくしはそれを見みて、ハッとして、自分じぶんの頭あたまがどうかしたのではないかと疑うたがった。何なんぜと云いって、そこに現あらわれた顔かおは、秀しゅうちゃんのでも吉きちちゃんのでもなくて、父親ちちおやの部屋へやにいるとばかり思おもっていた、諸戸もろと道雄みちおの引ひき歪ゆがんだ顔かおであったからだ。

何なん度ど見直みなおしても、私わたくしの幻まぼろしではなかった。まぎれもない道雄みちおが、双生そうせい児じの檻おりに同居どうきょしているのだ。それが分わかった刹那せつな、私わたくしは思おもわず大声おおごえに叫さけび相しょうになったのを、素早すばやく諸戸もろとが口くちに指ゆびを当あてて注意ちゅういしてくれたので、やっと食くい止とめることが出来できた。

私わたくしの驚おどろき顔がおを見みて、諸戸もろとは狭せまい窓まどの中なかから、しきりと手真似てまねで何なんか話はなすのだが、秀しゅうちゃんの微妙びみょうな目めとは違ちがって、それに話はなす事柄ことがらが複雑ふくざつ過すぎるものだから、どうも意味いみが取とれぬ。諸戸もろとはもどかしがって、一寸ちょっと待まてという合図あいずをして首くびを引込ひっこめたが、やがて、丸まるめた紙切かみきれを私わたくしの方ほうへ投なげてよこした。

拾ひろい上あげて拡ひろげて見みると、多分たぶん秀しゅうちゃんのを借かりたのであろう、鉛筆えんぴつの走はしり書がきで、次つぎの様ように認したためてあった。

少すこしの油断ゆだんから丈たけ五郎ごろうの奸計かんけいに陥おちいり、双生そうせい児じと同おなじ監禁かんきんの身みの上うえとなった。非常ひじょうに厳重げんじゅうな見張みはりだから、到底とうてい急きゅうに逃にげ出だす見込みこみはない。だが、僕ぼくよりも心配しんぱいなのは君きみだ。君きみは他人たにんだから一層いっそう危険きけんだ。早はやくこの島しまから逃にげ出だし給たまえ。僕ぼくはもう諦あきらめた、凡すべてを諦あきらめた。探偵たんていも、復讐ふくしゅうも、僕ぼく自身じしんの人生じんせいも。

君きみとの約束やくそくにそむくのを責せめないでくれ給たまえ、最初さいしょの意気いき込こみに似にず気きの弱よわい僕ぼくを笑わらわないでくれ給たまえ。僕ぼくは丈たけ五郎ごろうの子こなのだ。

懐なつかしい君きみとも、永遠えいえんにおさらばだ。諸戸もろと道雄みちおを忘わすれてくれ給たまえ。岩屋いわや島しまを忘わすれてくれ給たまえ。そして、無理むりな願ねがいだけれど、初代はつよさんの復讐ふくしゅうなどということも。

本土ほんどに渡わたっても警察けいさつに告つげる事こと丈だけは止よして下ください。長年ながねんの交誼こうぎにかけて、僕ぼくの最後さいごの御お頼たのみだ。

読よみ終おわって顔かおを上あげると、諸戸もろとは涙なみだぐんだ目めで、じっと私わたくしを見みおろしていた。悪魔あくまの父ちちは、遂ついにその子こを監禁かんきんしたのだ。私わたくしは道雄みちおの豹変ひょうへんを責せめるよりも、丈たけ五郎ごろうの暴虐ぼうぎゃくを恨うらむよりも、形容けいようの出来できない悲愁ひしゅうに打うたれて、胸むねの中なかが空虚うつろになった感かんじだった。

諸戸もろとは親子おやこという苟且かりそめの絆きずなに、幾いく度ど心こころを乱みだしたことであろう。遥々はるばるこの岩屋いわや島しまを訪おとずれたのも、深ふかく思おもえば、私わたくしの為ためでもなく、初代しょだいの復讐ふくしゅうなどの為ためでは無論むろんなく、その実じつは、親子おやこという絆きずなのさせた業わざであったかも知しれないのだ。そして、最後さいごの土壇場どたんばになって、彼かれは遂ついに負まけた。異様いようなる父ちちと子この戦たたかいは、かくして終局しゅうきょくをつげたのであろうか。

長ながい長ながい間あいだ、土蔵どぞうの窓まどの諸戸もろとと目めを見み交かわしていたが、とうとう彼かれの方ほうから、もう行いけという合図あいずをしたので、私わたくしは別段べつだんの考かんがえもなく、殆ほとんど機械きかい的てきに諸戸もろと屋敷やしきの門もんの方ほうへ歩あるいて行いった。立去たちさる時とき、諸戸もろとの青あおざめた顔かおのうしろの薄暗うすぐらい中なかに、秀しゅうちゃんの怪訝けげんな顔かおがじっと私わたくしを見みつめているのに気きづいた。それが一層いっそう私わたくしを果敢はかない気持きもちにした。

だが、私わたくしは無論むろん帰かえる気きになれなんだ。道雄みちおを救すくわねばならぬ。秀しゅうちゃんを助たすけ出ださねばならぬ。仮令たとえ道雄みちおが如何いかに反対はんたいしようとも、私わたくしは初代しょだいの敵てきを見捨みすててこの島しまを立去たちさることは出来できぬ。そして、あわよくば、なき初代しょだいの為ために、彼女かのじょの財宝ざいほうを発見はっけんしてやらねばならぬ。(不思議ふしぎなことに、私わたくしは何なんの矛盾むじゅんをも感かんじないで、初代しょだいと秀しゅうちゃんとを、同時どうじに思おもうことが出来できた)諸戸もろとの頼たのみがなくても、警察けいさつの力ちからを借かりるのは最後さいごの場合ばあいだ。私わたくしはこの島しまに踏ふみ止とどまって、もっと深ふかく探さぐって見みよう。滅入めいっている諸戸もろとを力ちからづけて、正義せいぎの味方みかたにしよう。そして、彼かれの優すぐれた智恵ちえを借かりて、悪魔あくまと戦たたかおう。私わたくしは諸戸もろと屋敷やしきの自分じぶんの居間いまに帰かえるまでに、雄々おおしくもこの様ように心こころを定きめた。

部屋へやに帰かえって暫しばらくすると、久ひさしぶりで傴僂せむしの丈たけ五郎ごろうが醜みにくい姿すがたを現あらわした。彼かれは私わたくしの部屋へやに這入はいると、立たちはだかったまま、

「お前まえさんは、直すぐに帰かえる支度したくをなさるがいい、もう一時いちじでもここの家いえには、いや、この岩屋いわや島しまには置おいておけぬ。サア、支度したくをなさるがいい」

と呶鳴どなった。

「帰かえれとおっしゃれば帰かえりますが、道雄みちおさんはどこにいるのです。道雄みちおさんも一緒いっしょでなければ」

「息子むすこは都合つごうがあって逢あわせる訳わけには行いかぬ。が、あれも無論むろん承知しょうちの上うえじゃ。サア、用意よういをするのだ」

争あらそっても無駄むだだと思おもったので、私わたくしは一先ひとまず諸戸もろと屋敷やしきを引上ひきあげることにした。無論むろんこの島しまを立去たちさる積つもりはない。島しまのどこかに隠かくれていて、道雄みちおなり秀しゅうちゃんなりを、救出すくいだす手てだてを講こうじなければならぬ。

だが、困こまったことには、丈たけ五郎ごろうの方ほうでも抜目ぬけめなく、一人ひとりの屈強くっきょうな下男しもおとこをつけて、私わたくしの行先いきさきを見届みとどけさせた。

下男げなんは私わたくしの荷物にもつを持もって先さきに立たって歩あるいて行いった。先日せんじつ私わたくしに話はなしかけた不思議ふしぎな老人ろうじんの小屋こやの所ところへ来くると、いきなりそこへ這入はいって行いって、声こえをかけた。

「徳とくさん。おるかな。諸戸もろとの旦那だんなの云いいつけだ。舟ふねを出だしておくれ。この人ひとをKまで渡わたすのや」

「この客人きゃくじんが一人ひとりで帰かえるのかな」

老人ろうじんはやっぱり、此間このあいだの窓まどから半身はんしんを出だして、私わたくしの顔かおをジロジロ眺ながめながら、答こたえた。

そこで結局けっきょく、下男げなんは私わたくしを、その徳とくさんと云いう老人ろうじんに預あずけて帰かえってしまったのだが、丈たけ五郎ごろうが、謂いわば彼かれの裏切うらぎり者しゃであるこの老人ろうじんに私わたくしを托たくしたのは、意外いがいでもあり、薄うす気味きみ悪わるくもあった。

とは云いえ、この老人ろうじんが選えらばれたことは、私わたくしにとって非常ひじょうな好こう都合つごうである。私わたくしは大略たいりゃく事ことの仔細しさいを打うちあけて、老人ろうじんの助力じょりょくを乞こうた。どうしても今いま暫しばらく、この島しまに踏止ふみとどまっていたいと云いい張はった。

老人ろうじんは、先日せんじつと同おなじ筆法ひっぽうで、私わたくしの計画けいかくの無謀むぼうなことを説といたが、私わたくしがあくまでも自説じせつをまげぬので、遂ついに我われを折おって、私わたくしの乞こいを容いれてくれたばかりか、丈たけ五郎ごろうをたばかる一ひとつの名案めいあんをさえ持出もちだした。

その名案めいあんというのは。

疑深うたがいぶかい丈たけ五郎ごろうのことだから、私わたくしがこのまま島しまに留とまったのでは、承知しょうちする筈はずもなく、引ひいては私わたくしを預あずかった老人ろうじんが恨うらみを買かうことになるから、兎とも角かく一いち度ど本土ほんどまで舟ふねを渡わたして見みせなければならぬ。

それも、徳とくさんが一人ひとりで舟ふねを漕こいで行いったのでは、何なんの利目ききめもないのだが、幸さいわい、徳とくさんの息子むすこが私わたくしと年齢ねんれいも、背せ恰好かっこも似寄によりだから、その息子むすこに私わたくしの洋服ようふくを着きせ、遠目とおめには私わたくしに見みえる様ように仕立したてて、本土ほんどへ渡わたすことにしよう。私わたくしは息子むすこの着物きものを着きて徳とくさんの小屋こやに隠かくれていればよいというのであった。

「お前まえさんの用事ようじが済すむまで、息子むすこにはお伊勢いせ参まいりでもさせてやりましょうわい」

徳とくさんは、そんなことを云いって笑わらった。

夕方ゆうがた頃ころ徳とくさんの息子むすこは私わたくしの洋服ようふくを着込きこんで、そり身みになって徳とくさんの持舟もちぶねに乗のり込こんだ。

私わたくしの影武者かげむしゃを乗のせた小舟こぶねは、徳とくさんを漕こぎ手てにして、行手ゆくてにどの様ような恐おそろしい運命うんめいが待構まちかまえているかも知しらず、夕闇ゆうやみ迫せまる海面かいめんを、島しまの切岸きりぎしに沿そって進すすんで行いった。

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