画工フェデリゴと違って、私達は神を祈ることをしなかった。その為であるか、彼等の様に、たやすく糸の端を見つけることは出来なんだ。
一時間以上も、私達は冷やかな地底にも拘らず、全身に汗を流して、物狂わしく探し廻った。私は絶望と、諸戸に対する申訳なさに、幾度も、冷い岩の上に身を投げて、泣き出したくなった。諸戸の強烈な意志が、私を励ましてくれなかったら、恐らく私は探索を思い切って、洞穴の中に坐ったまま、餓死を待ったかも知れない。
私達は何度となく、洞窟に住む大蝙蝠の為に、蝋燭の光を消された。奴等は不気味な毛むくじゃらの身体を、蝋燭ばかりではなく、私達の顔にぶっつけた。
諸戸は辛抱強く、蝋燭を点じては、次から次と、洞窟の中を、組織的に探し廻った。
「慌ててはいけない。落ちついていさえしたら、ここにあるに相違ないものが、見つからぬという道理はないのだから」
彼は驚くべき執拗さで、捜索を続けた。
そして、遂に、諸戸の沈着のお蔭で、麻縄の端は発見された。だが、それは何という悲しい発見であったろう。
それを掴んだ時、諸戸も私も、無上の歓喜に、思わず小躍りした。「万歳」と叫び相にさえなった。私は喜びの余り、掴んだ縄をグングンと手元へたぐり寄せた。そして、それが何時まででもズルズルと伸びて来るのを、怪しむ暇もなかった。
「変だね。手答えがないの?」
側で見ていた諸戸が、ふと気附いて云った。云われて見ると変である。私はそれがどの様な不幸を意味するかも知らないで、勢いこめて、引き試みた。すると、縄は蛇の様に波うって、私を目がけて飛びかかり、私ははずみを食って、尻餅をついてしまった。
「引っぱっちゃいけない」
私が尻餅をついたのと、諸戸が叫んだのと同時だった。
「縄が切れているんだ。引張っちゃいけない。そのままソッとして置いて、縄を目印にして入口の方へ出て見るんだ。中途で切れたんでなければ、入口の近くまで行けるだろう」
諸戸の意見に従って、蝋燭を地につけ、横わっている縄を見ながら、元の道を引かえした。だが、アア、何という事だ。二つ目の広間の入口の所で、私達の道しるべは、プッツリと断ち切れていた。
諸戸はその麻縄の端を拾って、火に近づけて暫く見ていたが、それを私の方へ差出して、
「この切口を見給え」
と云った。私が彼の意味を悟り兼ねて、もじもじしていると、彼はそれを説明した。
「君は、さっき君が転んだ時、縄を強く引張った為に、中途で切れたと思っているだろう。そして、僕に済まなく思っているだろう。安心し給え、そうではないのだ。だが、我々にとっては、もっと恐ろしいことなんだ。見給え。この切口は決して岩角で擦り切れたものじゃない。鋭利な刃物で切断した跡だ。第一、引張った勢いで擦り切れたものなら、我々から一番近い岩角の所で切れている筈だ。ところが、これは殆ど入口の辺で切断されたものらしい」
切口を検べて見ると、成程、諸戸の云う通りであった。更らに私達は、入口の所で、つまり私達がこの地底に這入る時、井戸の中の石畳に結びつけて来た、その近くで切断されたものであるかどうかを確める為に、縄を元の様な玉に巻き直して見た。すると、丁度元々通りの大きさになったではないか。最早や疑う所はなかった。何者かが、入口の近くで、この縄を切断したのである。
最初私がたぐり寄せた部分がどれ程あったか、ハッキリしないけれど、恐らく八間位であっただろう。だが、私達が転ぶ以前に切断されたものとすると、私達は端の止っていない縄を、ズルズルと引ずって歩いていたかも知れないのだから、現在の位置から入口まで、どれ程の距離があるか、殆ど想像がつかなんだ。
「だが、こうしていたって仕様がない。行ける所まで行って見よう」
諸戸はそう云って、蝋燭を新しいのと取換え、先に立って歩き出した。その広い洞窟には幾つもの枝道があったが、私達は縄の終っていた所からまっすぐに歩いて、つき当りに開いている穴に這入って行った。入口は多分その方角であろうと思ったからである。
私達は度々枝道にぶっつかった。穴の行止りになっている所もあった。そこを引返すと、今度は以前に通った路が分らなくなった。
広い洞窟へも一度ならず出たが、それが最初出発した洞窟かどうかさえ分らなんだ。
一つの洞窟を一週しさえすれば、必ず見つかる麻縄の端を発見するのでも、あんなに骨を折ったのだ。それが枝道から枝道へと、八幡の藪知らずに踏み込んでしまっては、もうどうすることも出来なんだ。
諸戸は「少しでも光を発見すればいいのだ。光のさす方へ向いて行けば、必ず入口へ出られるのだから」と云ったが、豆粒程の幽かな光さえ発見することが出来なかった。
そうして滅茶苦茶に一時間程も歩き続けている内に、現在入口に向っているのだか、反対に奥へ奥へと進んでいるのだか、島のどの辺をさまよっているのだか、さっぱり分らなくなってしまった。
又しても、ひどい下り坂であった。それを降り切ると、そこにも地底の広間があった。広間の中程から、少しつまさき上りになって来たが、構わず進んで行くと、小高く段になった所があって、それを登ると行止りの壁になっていた。私達はあきれ果てて、その段の上に腰をおろしてしまった。
「さっきから同じ道をグルグル廻っていたのかも知れませんね」私は本当にそんな気がした。
「人間て実に腑甲斐ないもんですね。多寡がこんな小さな島じゃないか、端から端まで歩いたって知れたものです。又僕達の頭のすぐ上には、太陽が輝いて、家もあれば人もいるんだ。十間あるか二十間あるか知らないが、たったそれ丈けの所を突き抜ける力もないんですからね」
「そこが迷路の恐ろしさだよ。八幡の藪不知っていう見世物があるね。せいぜい十間四方位の竹藪なんだが、竹の隙間から出口が見えていて、いくら歩いても出られない。僕等は今、あいつの魔法にかかっているんだよ」諸戸はすっかり落着いていた。「こんな時には、ただあせったって仕方がない。ゆっくり考えるんだね。足で出ようとせず、頭で出ようとするんだ。迷路というものの性質をよく考えて見るんだ」
彼はそう云って、穴へ這入って初めて煙草を銜えて、蝋燭の火をうつしたが、「蝋燭も倹約しなくっちゃあ」と云って、そのまま吹き消してしまった。文目もわかぬ闇の中に、彼の煙草の火が、ポッツリと赤い点を打っていた。
煙草好きの彼は、井戸へ這入る前、トランクの中に貯えてあったウェストミンスタアを一箱取出して、懐中して来たのだ。一本目を吸ってしまうと、彼はマッチを費さず、その火で二本目の煙草をつけた。そして、それがなかば燃えてしまうまで、私達は闇の中で、黙っていた。諸戸は何か考えているらしかったが、私は考える気力もなく、ぐったりとうしろの壁へよりかかっていた。