← Library‹ 孤島の鬼 生地獄

私わたくしは尋たずねたくてウズウズする一事いちじがあった。だが、自分じぶんのことばかり考かんがえている様ように思おもわれるのがいやだったから、暫しばらく諸戸もろとの昂奮こうふんの鎮しずまるのを待まった。

私わたくし達たちは闇やみの中なかで、抱だき合あったまま、黙だまり込こんでいた。

「馬鹿ばかだね、僕ぼくは。この地下ちかの別べつ世界せかいには、親おやもないし、道徳どうとくも羞恥しゅうちもなかった筈はずだね。今更いまさらら昂奮こうふんして見みた所ところで、始はじまらぬことだ」

やっとして、冷静れいせいに返かえった諸戸もろとが、低ひくい声こえで云いった。

「すると、あの秀しゅうちゃん吉きちちゃんの双生そうせい児じも」私わたくしは機会きかいを見出みいだして尋たずねた。「やっぱり作つくられた不具ふぐ者しゃだったの」

「無論むろんさ」諸戸もろとははき出だす様ように云いった。「そのことは、僕ぼくには、例れいの変へんな日ひ記帳きちょうを読よんだ時ときから分わかっていた。同時どうじに、僕ぼくはあの日記にっき帳ちょうで、親爺おやじのやっている事柄ことがらを薄々うすうす感かんづいたのだ。何故なぜ僕ぼくに変へんな解剖かいぼう学がくを研究けんきゅうさせているかって云いうこともね。だが、そいつを君きみに云いうのはいやだった。親おやを人殺ひとごろしだと云いうことは出来できても、人体じんたい変形へんけいのことは、どうにも口くちに出だせなかった。言葉ことばに綴つづるさえ恐おそろしかった。

秀しゅうちゃん吉きちちゃんが、生うまれつきの双生そうせい児じでないことはね、君きみは医者いしゃでないから知しらぬけれど、僕ぼく等とうの方ほうでは常識じょうしきなんだよ。癒合ゆごう双体そうたいは必かならず同性どうせいであるという動うごかすことの出来できない原則げんそくがあるんだ。同一どういつ受精じゅせい卵らんの場合ばあいは男おとこと女おんなの双生そうせい児じなんて生うまれっこないのだよ。それにあんな顔かおも体質たいしつも違ちがう双生そうせい児じなんてあるものかね。

赤あか坊ぼうの時分じぶんに、双方そうほうの皮かわをはぎ、肉にくをそいで、無理むりにくっつけたものだよ。条件じょうけんさえよければつかぬことはない。運うんがよければ素人しろうとにだってやれぬとも限かぎらぬ。だが、当人とうにん達たちが考かんがえている程ほど、芯しんからくっついているのではないから、切離きりはなそうと思おもえば、造作ぞうさもないのだよ」

「じゃ、あれも見世物みせものに売うる為ために作つくったのだね」

「そうさ。ああして三味しゃみ線せんを習ならわせて、一番いちばん高たかく売うれる時期じきを待まっていたのだよ。君きみは秀しゅうちゃんが片輪かたわでないことが判わかって嬉うれしいだろうね。嬉うれしいかい」

「君きみは嫉妬しっとしているの」

人ひと外境がいきょうが私わたくしを大胆だいたんにした。諸戸もろとの云いった通とおり礼儀れいぎも羞恥しゅうちもなかった。どうせ今いまに死しんじまうんだ。何なんを云いったって構かまうものかと思おもっていた。

「嫉妬しっとしている。そうだよ。アア、僕ぼくはどんなに長ながい間あいだ嫉妬しっとし続つづけて来きただろう。初代はつよさんとの結婚けっこんを争あらそったのも、一ひとつはその為ためだった。あの人ひとが死しんでからも、君きみの限かぎりない悲歎ひたんを見みて僕ぼくはどれ程ほどせつない思おもいをしていただろう。だが、もう君きみは、初代はつよさんも秀しゅうちゃんも、その外そとのどんな女性じょせいとも、再ふたたび逢あうことは出来できないのだ。この世界せかいでは、君きみと僕ぼくとが全ぜん人類じんるいなのだ。

アア、僕ぼくはそれが嬉うれしい。君きみと二人ふたりでこの別べつ世界せかいへとじ籠こめて下くだすった神かみ様さまが有難ありがたい。僕ぼくは最初さいしょから、生いきようなんてちっとも思おもっていなかったんだ。親爺おやじの罪つみ亡ほろぼしをしなければならないという責任せきにん感かんが僕ぼくに色々いろいろな努力どりょくをさせたばかりだ。悪魔あくまの子ことしてこの上生恥いきはじを曝さらそうより、君きみと抱だき合あって死しんで行いく方ほうが、どれ程ほど嬉うれしいか。蓑みの浦うら君くん、地上ちじょうの世界せかいの習慣しゅうかんを忘わすれ、地上ちじょうの羞恥しゅうちを棄すてて、今いまこそ、僕ぼくの願ねがいを容いれて、僕ぼくの愛あいを受うけて」

諸戸もろとは再ふたたび狂乱きょうらんの体からだとなった。私わたくしは、彼かれの願ねがいの余あまりのいまわしさに、答こたえる術じゅつを知しらなかった。誰だれでもそうであろうが、私わたくしは恋愛れんあいの対象たいしょうとして、若わかき女性じょせい以外いがいのものを考かんがえると、ゾッと総毛そうけ立たつ様ような、何なんとも云いえぬ嫌悪けんおを感かんじた。友達ともだちとして肉体にくたいの接触せっしょくすることは何なんでもない。快こころよくさえある。だが、一いち度どそれが恋愛れんあいとなると、同性どうせいの肉体にくたいは、吐気はきけを催もよおす種類しゅるいのものであった。排他はいた的てきな恋愛れんあいというものの、もう一ひとつの面めんである。同類どうるい憎悪ぞうおだ。

諸戸もろとは友達ともだちとして頼たのもしくもあり、好感こうかんも持もてた。だが、そうであればある程ほど、愛慾あいよくの対象たいしょうとして彼かれを考かんがえることは、堪こらえ難がたいのだ。死しに直面ちょくめんして棄鉢すてばちになった私わたくしでも、この憎悪ぞうお丈だけはどうすることも出来できなんだ。

私わたくしは迫せまって来くる諸戸もろとをつき離はなして逃にげた。

「アア、君きみは今いまになっても、僕ぼくを愛あいしてくれることは出来できないのか。僕ぼくの死しにもの狂ぐるいの恋こいを受入うけいれる情なさけはないのか」

諸戸もろとは失望しつぼうの余あまり、オイオイ泣なきながら、私わたくしを追つい駈かけて来きた。

恥はじも外聞がいぶんもない、地ちの底そこのめんない千鳥ちどりが始はじまった。アア、何なんという浅間あさましい場面ばめんであったろう。

そこは、左右さゆうの壁かべの広ひろくなった、彼かれの洞窟どうくつの一ひとつであったが、私わたくしは元もとの場所ばしょから五ご六ろく間けんも逃にげのびて、闇やみの片隅かたすみに蹲うずくまり、じっと息いきを殺ころしていた。

諸戸もろともひっそりしてしまった。耳みみをすまして人間にんげんの気配けはいを聞きいているのか、それとも、壁かべ伝つたいに盲目もうもく蛇へびみたいに、音おともなく餌えさ物ものに近ちかづきつつあるのか、少すこしも様子ようすが分わからなんだ。それ丈だけに気味きみが悪わるい。

私わたくしは闇やみと沈黙ちんもくの中なかに、目めも耳みみもない人間にんげんの様ように、独ひとりぼっちで震ふるえていた。そして、

「こんなことをしている隙すきがあったら、少すこしでもこの穴あなを抜ぬけ出だす努力どりょくをした方ほうがよくはないのか。若もしや諸戸もろとは、彼かれの異様いような愛慾あいよくの為ために、万一まんいち助たすかるかも知しれぬ命いのちを、犠牲ぎせいにしようとしているのではあるまいか」

などと考かんがえていた。とは云いえ、私わたくしも独ひとりぼっちで、又また闇やみの旅行りょこうを続つづける気きにはなれなんだ。

ハッと気きがつくと、蛇へびは既すでに私わたくしに近ちかづいていた。彼かれは一体いったい闇やみの中なかで私わたくしの姿すがたが見みえるのであろうか。それとも五感ごかんの外そとの感覚かんかくを持もっていたのであろうか。驚おどろいて逃にげようとする私わたくしの足あしは、いつか彼かれの黐もちの様ような手てに掴つかまれていた。

私わたくしははずみを食くって岩いわの上うえに横よこざまに倒たおれた。蛇へびはヌラヌラと私わたくしの身体からだに這はい上のぼって来きた。私わたくしは、このえたいの知しれぬけだものが諸戸もろとなのかしらと疑うたがった。それは最早もはやや人間にんげんと云いうよりも不ふ気味きみな獣類じゅうるいでしかなかった。

私わたくしは恐怖きょうふの為ためにうめいた。

死しの恐怖きょうふとは別べつの、だがそれよりも、もっともっといやな、何なんとも云いえぬ恐おそろしさであった。

人間にんげんの心こころの奥底おくそこに隠かくれている、ゾッとする程ほど不ふ気味きみなものが今いまや私わたくしの前まえに、その海うみ坊主ぼうずみたいな、奇怪きっかいな姿すがたを現あらわしているのだ。

地獄じごく絵えだ。闇やみと死しと獣性じゅうせいの生地きじ獄ごくだ。

私わたくしはいつかうめく力ちからを失うしなっていた。声こえを出だすのが恐おそろしかったのだ。

火ひの様ように燃もえた頬ほおが、私わたくしの恐怖きょうふに汗あせばんだ頬ほおの上うえに重かさなった。ハッハッと云いう犬いぬの様ような呼吸こきゅう、一種いっしゅ異様いようの体臭たいしゅう、そして、ヌメヌメと滑なめらかな、熱あつい粘膜ねんまくが、私わたくしの唇くちびるを探さがして、蛭ひるの様ように、顔かお中ちゅうを這はい廻まわった。

諸戸もろと道雄みちおは今いまはこの世よにいない人ひとである。だが、私わたくしは余あまりに死者ししゃを恥はじしめることを恐おそれる。もうこんなことを、長々ながながと書かくのは止よそう。

丁度ちょうどその時とき、非常ひじょうに変へんな事ことが起おこった。そのお蔭かげで、私わたくしは難なんを逃のがれることが出来できた程ほどに、意外いがいな椿事ちんじであった。

洞窟どうくつの他ほかの端はしで、変へんな物音ものおとがしたのだ。蝙蝠こうもりや蟹かにには馴なれていたが、その物音ものおとはそんな小しょう動物どうぶつの立たてたものではなかった。もっとずっと大おおきな生物せいぶつが蠢うごめいている気配けはいなのだ。

諸戸もろとは私わたくしを掴つかんでいる手てをゆるめて、私わたくしは反抗はんこうを中止ちゅうしして、じっと聞耳ききみみを立たてた。

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