樽屋の文六ちゃんの家は、みんなの家とは少しはなれたところにありました。ひろい、蜜柑畑になっている屋敷にかこわれて、一軒きり、谷地にぽつんと立っていました。子供たちはいつも、水車のところから少し廻りみちして、文六ちゃんを、その家の門口まで送ってやることにしていました。なぜなら、文六ちゃんは樽屋の清六さんの一人きりの大事な坊ちゃんで、甘えん坊だからです。文六ちゃんのお母さんが、よく、蜜柑やお菓子をみんなにくれて、文六ちゃんと遊んでやってくれとたのみに来るからです。今晩も、お祭にゆくときには、その門口まで、文六ちゃんを迎えに行ってやったのでした。
さてみんなは、とうとう、水車のところに来ました。水車の横から細い道がわかれて草の中を下へおりてゆきます。それが文六ちゃんの家にゆく道です。
ところが、今夜は誰も、文六ちゃんのことを忘れてしまったかのように、送ってゆこうとするものがありません。忘れたどころではありません、文六ちゃんがこわいのです。
甘えん坊の文六ちゃんは、それでも、いつも親切な義則君だけは、こちらへ来てくれるだろうと思って、うしろをむきむき、水車のかげになってゆきました。
とうとう、だれも文六ちゃんといっしょにゆきませんでした。
さて文六ちゃんは、ひとりで、月にあかるい谷地へおりてゆく細道をくだりはじめました。どこかで、蛙がくくみ声で鳴いていました。
文六ちゃんは、ここから、じぶんの家までは、もうじきだから、誰も送ってくれなくても、困るわけではないのです。だが、いつもは送ってくれたのです、今夜にかぎっておくってくれないのです。
文六ちゃんは、ぼけんとしているようでも、もうちゃんと知っているのです、みんなが、じぶんの下駄のことで何といいかわしたか、また、じぶんが咳をしたためにどういうことになったかを。
祭にゆくまでは、あんなに、じぶんに親切にしてくれたみんなが、じぶんが、夜新しい下駄をはいて狐にとりつかれたかしれないために、もう誰一人かえりみてくれない、それが文六ちゃんにはなさけないのでした。
義則君なんか文六ちゃんより四年級も上だけれど親切な子で、いつもなら、文六ちゃんが寒そうにしていると、洋服の上に着ている羽織をぬいでかしてくれたものでした(田舎の少年は寒い時、洋服の上に羽織を着ています)。それだのに、今夜は、文六ちゃんが、いくら咳をしていても羽織を貸してやろうとはいいませんでした。
文六ちゃんの屋敷の外囲いになっている槙の生垣のところに来ました。背戸口の方の小さい木戸をあけて中にはいりながら、文六ちゃんは、じぶんの小さい影法師を見てふと、ある心配を感じました。
――ひょっとすると、じぶんはほんとうに狐につかれているかもしれない、ということでした。そうすると、お父さんやお母さんはじぶんをどうするだろうということでした。