← Library‹ 狐 五

樽屋たるやの文六ぶんろくちゃんの家いえは、みんなの家いえとは少すこしはなれたところにありました。ひろい、蜜柑畑みかんばたけになっている屋敷やしきにかこわれて、一いち軒けんきり、谷地やちにぽつんと立たっていました。子供こどもたちはいつも、水車すいしゃのところから少すこし廻まわりみちして、文六ぶんろくちゃんを、その家いえの門口かどぐちまで送おくってやることにしていました。なぜなら、文六ぶんろくちゃんは樽屋たるやの清六せいろくさんの一人ひとりきりの大事だいじな坊ぼっちゃんで、甘あまえん坊ぼだからです。文六ぶんろくちゃんのお母ははさんが、よく、蜜柑みかんやお菓子かしをみんなにくれて、文六ぶんろくちゃんと遊あそんでやってくれとたのみに来くるからです。今晩こんばんも、お祭まつりにゆくときには、その門口かどぐちまで、文六ぶんろくちゃんを迎むかえに行いってやったのでした。

さてみんなは、とうとう、水車すいしゃのところに来きました。水車すいしゃの横よこから細ほそい道みちがわかれて草くさの中なかを下したへおりてゆきます。それが文六ぶんろくちゃんの家いえにゆく道みちです。

ところが、今夜こんやは誰だれも、文六ぶんろくちゃんのことを忘わすれてしまったかのように、送おくってゆこうとするものがありません。忘わすれたどころではありません、文六ぶんろくちゃんがこわいのです。

甘あまえん坊ぼの文六ぶんろくちゃんは、それでも、いつも親切しんせつな義則よしのり君くんだけは、こちらへ来きてくれるだろうと思おもって、うしろをむきむき、水車すいしゃのかげになってゆきました。

とうとう、だれも文六ぶんろくちゃんといっしょにゆきませんでした。

さて文六ぶんろくちゃんは、ひとりで、月つきにあかるい谷地やちへおりてゆく細道ほそみちをくだりはじめました。どこかで、蛙かえるがくくみ声こえで鳴ないていました。

文六ぶんろくちゃんは、ここから、じぶんの家いえまでは、もうじきだから、誰だれも送おくってくれなくても、困こまるわけではないのです。だが、いつもは送おくってくれたのです、今夜こんやにかぎっておくってくれないのです。

文六ぶんろくちゃんは、ぼけんとしているようでも、もうちゃんと知しっているのです、みんなが、じぶんの下駄げたのことで何なんといいかわしたか、また、じぶんが咳せきをしたためにどういうことになったかを。

祭まつりにゆくまでは、あんなに、じぶんに親切しんせつにしてくれたみんなが、じぶんが、夜よる新あたらしい下駄げたをはいて狐きつねにとりつかれたかしれないために、もう誰だれ一人ひとりかえりみてくれない、それが文六ぶんろくちゃんにはなさけないのでした。

義則よしのり君くんなんか文六ぶんろくちゃんより四よん年級ねんきゅうも上うえだけれど親切しんせつな子こで、いつもなら、文六ぶんろくちゃんが寒さむそうにしていると、洋服ようふくの上うえに着きている羽織はおりをぬいでかしてくれたものでした(田舎いなかの少年しょうねんは寒さむい時とき、洋服ようふくの上うえに羽織はおりを着きています)。それだのに、今夜こんやは、文六ぶんろくちゃんが、いくら咳せきをしていても羽織はおりを貸かしてやろうとはいいませんでした。

文六ぶんろくちゃんの屋敷やしきの外囲そとがこいになっている槙まきの生垣いけがきのところに来きました。背せ戸口どぐちの方ほうの小ちいさい木戸きどをあけて中なかにはいりながら、文六ぶんろくちゃんは、じぶんの小ちいさい影法師かげぼうしを見みてふと、ある心配しんぱいを感かんじました。

――ひょっとすると、じぶんはほんとうに狐きつねにつかれているかもしれない、ということでした。そうすると、お父ちちさんやお母ははさんはじぶんをどうするだろうということでした。

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